1枚の写真から街を再発見!兵動大樹の今昔さんぽ。
■「日本人初の大発明」ゆかりの写真
今回探っていくのは、1900年(明治33年)に京都府八幡市で撮影された写真。建物の前に数人の男性が並んで写っています。
「日本人初の大発明にゆかりがある」とヒントをもらいましたが、何のことだか分かりません。
京阪電車の石清水八幡宮駅前から探索にスタートします。
■「石清水八幡宮」に「松花堂弁当」発明のきっかけ
まず「石清水八幡宮」権禰宜の宮田雄生さんに、この辺りで有名な発明のことを聞くと、「松花堂弁当発祥の地」だと教えてくれました。
江戸時代、境内に住んでいた住職の松花堂昭乗が、十字に仕切った器を使っていて、のちに日本料理「吉兆」の創業者・湯木貞一が見初めて料理の器として使い、「松花堂弁当」と名付けたそうです。
ただ昭乗がいた草案「松花堂」は移築されて現存しているのですが、写真の建物とは違っていて、関係ありませんでした。
■ライト兄弟より先に日本人が「飛行器」を発明
街で発明について聞き込みを続けると、「二宮忠八さん。日本で飛行機作りはった人。ライト兄弟より早かった」という情報がありました。
近くには二宮忠八が建てた「飛行神社」があり、資料館もあって二宮忠八に関する展示や、飛行機やロケットの模型も展示されています
二宮忠八は陸軍の演習中に、カラスが滑空している姿を見て、固定した翼で空を飛ぶ「飛行原理」を発見。それを実証したカラス型飛行器の模型をゴム動力で飛ばすことに成功しました。
さらに研究を重ねて、人が乗れる玉虫型飛行器を開発し、陸軍にエンジン調達を上申しましたが却下。自力でエンジン開発を行っている時にライト兄弟の成功を知ったのです。
【飛行神社宮司 友田亨さん】「ライト兄弟のニュースを新聞で見て、(製作中の飛行器を)たたき潰したんです。一番に自分が飛びたかった」
その後、二宮忠八は飛行機による死亡事故が発生したのを機に、1915年(大正4年)に自宅を飛行神社として創建。空の安全を祈願するようになりました。
写真は二宮忠八が飛行器を作っていた「二宮工作所」だと判明しました。
【兵動大樹さん】「ライト兄弟より先に飛行機の原型を作っていた。石清水八幡宮あり、飛行神社もあります。皆さん紅葉見がてら、こちらに参拝にいらしてはいかがでしょうか」
(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」 2024年11月22日 金曜日放送)
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