インタビューを受ける「イカ王子」こと鈴木良太さん(写真:筆者撮影)この記事の画像を見る(5枚)

東日本大震災から13年たった東北の被災地は深刻な不況に陥っている。その大きな原因は、長らく地域の主要産業だった漁業や水産加工業の経営不振だ。

秋サケやサンマ、スルメイカといった主要魚種は軒並み不漁。岩手県宮古市の水産加工会社「共和水産」もその影響を受け、負債総額約9億1800万円を抱えて2023年10月、民事再生法の適用を申請した。

同社の代表取締役専務・鈴木良太さんは「イカ王子」を名乗り、三陸の水産業復興の旗振り役として知られていた。

だが、スルメイカの記録的な不漁により主力商品であるイカそうめんの原材料費が高騰、資金繰りが急速に悪化した。

「共和水産が民事再生」というニュースは地元岩手の人たちや、東北の水産関係者に衝撃を与えたのみならず、「イカ王子」としての知名度ゆえ全国的にも大きな話題となった。

都会に憧れた若いころ

かつて「世界三大漁場」の一つとも言われた三陸漁場は、冷たい親潮と暖かい親潮がぶつかり、北方と南方の両方の魚種が豊富に水揚げされる漁場として知られ、宮古港は江戸時代から栄えた歴史を持つ。

そんな港町・宮古で鈴木さんの父親とその兄が共和水産を創業したのは1985年。大量に水揚げされるイカやサケを魚市場で買い付けて下処理をし、消費者がすぐに食べられる加工品を製造してきた。

後に主力商品となるイカそうめんを筆頭に、多いときにはイカの加工品を40種類近く手がけ、イカを使った商品が売り上げの9割ほどを占めていた。

男ばかり4人兄弟の三男である鈴木さん。子どものころは「キラキラした都会」に憧れ、ファストフードも全国チェーンのコンビニもない地元を卑下する典型的な地方出身の若者だった。

「イカなんてキラキラしてないし、ダサい。地元で働くことも会社を継ぐことも考えていませんでした」

仙台の大学に進学したものの、都会の遊びを満喫し過ぎて2年で中退。

東北最大の歓楽街・国分町のダイニングバーでアルバイトを始めると、客引きや接客で営業センスが開花し、社員に昇格。元来、食や料理が好きだったこともあって飲食の仕事は天職と感じた。

耳や鼻のピアスに金髪、という鈴木さんのいでたちに、親戚や宮古の人たちは「仙台でホストになったらしい」と噂した。

Uターン、そして東日本大震災

一生、都会の夜の街で働くつもりだったという鈴木さんの転機は23歳のとき。両親が仙台まで来て「会社を継いでほしい」と頭を下げた。大学を中退した申し訳なさもあり、しぶしぶUターンを決めた。

夜の街での仕事から一転、毎朝まだ暗いうちからトラックを運転して魚市場に向かい、イカを買い付け、加工場に戻ると1日中、従業員たちと一緒にイカをさばいた。

「まるで刑務所にいるみたいだ……」

仕事にやりがいを見いだせず、「ここが俺の居場所なのか」と自問自答を繰り返した。「いずれは社長になるしかないんだろうな、と思いながらも、こんな中途半端な人生はつまらない。このまま終わりたくない。そんな気持ちがくすぶっていました」。

そんな鈴木さんの日常を一変させたのが、2011年の東日本大震災だった。

家族や従業員、加工場は無事だったが、魚市場や漁港は津波で大きな被害を受け、駅前の商店街はがれきに埋め尽くされた。

鈴木さんの友人や取引先も犠牲になり、廃業を余儀なくされる取引先もあった。共和水産も在庫を保管していた冷凍倉庫が津波で流出し、1億3000万円の負債を抱えた。

だが呆然としている時間はなかった。復旧・復興に向けた動きが始まり、市内の事業者や住民、議員などに混ざって鈴木さんもさまざまな会議に招集された。

するとそこでは誰もが「宮古は水産のまちだ」「水産業の復興なくして宮古の復興はない」、そう口を揃えた。市民にとって水産業が重要な産業なのだということを実感した瞬間だった。

「震災が起きて初めて、自分は宮古という水産のまちのど真ん中に立っているんだと気が付きました。中途半端なことをやっている場合じゃない、覚悟を決めようと腹が据わりました」

生き残った自分にできることは何かと模索する中で生まれたのが「イカ王子」だった。

「若い自分が“人寄せパンダ”になれば、宮古の水産業への注目を集められる」。

そう考えて「三陸王国 イカ王子」を名乗り、開設したばかりの自社サイトにブログの投稿を始めた。2011年夏、30歳のときだった。

折しも、実質的に経営を担ってきた叔父が病気で亡くなり、鈴木さんがその跡を継いだ。Uターンして8年目。改めて財務諸表を点検し、自社の経営体制を直視すると、経営状態は思っていた以上に厳しかった。

三陸の水産加工業は震災以前からいくつもの課題を内包していた。

水産資源の減少により原料価格は少しずつ上昇する一方で、サプライチェーンが複雑で産地に利益が残りにくく、価格決定権を持ちづらい流通構造があった。

地域の高齢化による人手不足も収益改善の足かせとなっていた。共和水産もまた例外ではなかった。

「イカ王子」で一躍脚光を浴びた

経営改善に向けて、父の代から取引のあった生協の共同購入向けのイカそうめんに特化する方針を決めた。

それまでは50gのパック入りだった商品を1食ずつのカップ入りに変更し、朝食のおかずという新たなマーケットを開拓。3億円だった売り上げを11億まで増やした。

「イカ王子」という奇抜なキャラクターによる発信の効果と「被災地を応援したい」というニーズがかみ合い、大手通販サイトと連携して開発した新商品は、サイト上位に食い込む人気となった。

流通構造の問題や人手不足といった水産業の課題に向き合う中で、市内の同業者と協業した商品開発や販路の拡大も進め、商品を携えて、台湾やニューヨークの商談会へ。

イカ王子のトレードマークの王冠をかぶりマンハッタンの試食会に立つ姿はテレビ局の密着取材を受け、報道された。無事に輸出も決まり、宮古産・海産物の販路を海外に切り拓く道を作った。

ニューヨークなど出張先での様子もブログで発信してきた(鈴木良太さん提供)

震災後、故郷への思いを新たにした鈴木さんの次の一手は、宮古港が全国有数の水揚げ量を誇るマダラの活用。

宮古では鮮度の良いマダラを刺身で食べる習慣はあるものの、料理のレパートリーが少なく、加工品もない。若い世代にはとくになじみのない魚だった。

「イカやサケ、サンマという三陸の魚の不漁が続く中で、安定的に水揚げされるマダラで美味しいものを作って宮古を盛り上げたい」と新商品の開発に向けて動き出した。

そこで生まれた「王子のぜいたく至福のタラフライ」は目論見通りのヒット商品に。

マダラをPRするための「真鱈まつり」や宮古市内の水産加工品を扱うECサイトなどで先頭に立ち、「地域の顔」としてイカ王子を前面に押し出した企画を続けた。

イベントに引っ張りだこだったイカ王子(鈴木良太さん提供)

結果、王冠をかぶり三陸の海やイカについて情熱的に語る“王子”のキャラクターが話題を呼び、地元メディアだけでなく、スポーツ紙などさまざまな媒体で水産業復興のシンボルとして取り上げられた。

農水省や総務省、復興庁などで被災地の「先進事例」として紹介されたこともある。

海の異変

だが、表舞台での活動の一方、海の異変は少しずつ深刻さを増し、会社の経営も厳しくなっていった。

中でも震災の前年には全国で19万9800トンの漁獲量があったスルメイカは、2016年には10万トンを割り込み、2022年には3万トン台まで激減。宮古港を含む岩手県内での水揚げ量も、最盛期の2000年ごろと比べると、7分の1以下の2590トンに落ち込んだ。

「1kg400円だった仕入れ値が3倍以上に膨らみました。1商品当たりの量を減らして、実質的に値上げするなど価格転嫁を図ってきましたが、年々赤字が膨らみどうにもならない状態に陥ってしまいました」

民事再生法の適用申請を申し立てたのは2023年10月4日。

1月、宮古真鱈まつりで接客する「イカ王子」(写真:Instagram @ika_prince1108 より)

既存の取引は止まり、クレジットカード決済の受け付けが停止されたためにECサイトでの販売が難しくなった。それまでは取引先などからの電話がひっきりなしに鳴る毎日だったが、連絡は途絶えた。

「精神的にもどん底」の状態の中、事業再生の命運をかけてスポンサー探しに奔走している。

だが工場は水産庁の補助金を使って建てたため、水産物以外の加工ができないという制約がある。このことがネックとなり、スポンサーとの交渉は難航しているという。

三陸の厳しい状況を伝える「使命」がある

起死回生の道は平坦ではない。先が見通せない、苦しい状況が続いているが、民事再生法の適用申請から約2カ月後にはXやYouTubeを再開。王冠を外した姿で、情報発信を続ける。

「三陸の水産、日本の水産業のために命を削ろうと決めました。イカ王子として、どん底にいる姿をお見せしながら発信をしていきたい」

適用申請後に始めた商品販売会で寄せられたメッセージ(筆者撮影)

そこには、どん底にいるのは共和水産だけではないという思いがある。

三陸の漁業の根幹だった秋サケ漁も震災後、記録的な不漁が続く。稚魚を放流する事業を続けているにもかかわらず、本来4年前後で生まれた河川に戻ってくるはずのサケが帰ってこない。

震災前の2010年と比べると、98%も減少し、1日で1万匹近く捕獲していた定置網に1匹も入らない日もある。水産業だけでなく定置網漁業や漁協も厳しい経営が続く。

「まわりの漁業者や水産加工業者も震災直後に描いた経営計画の範疇を越えた状況に陥っている」と訴える鈴木さん。

「三陸のこの厳しい状況があまりにも知られていない。危機的な状況も発信し続けるのがイカ王子としての使命。まだ終わるわけにはいきません」

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