【保育】子どもたちの笑顔のために―をモットーに保育、児童発達支援、放課後等デイサービスなどの事業を展開するクローバー(札幌)。代表取締役の田中雅世さんに理想の保育園づくりや、赤ちゃんからお年寄りまで一生涯にわたる支援の構想について聞きました。
幼少期からの夢は保育士 経済的にかなわず、美容関係会社に就職
――ご出身はどちらですか? どんなお子さんでしたか?
札幌出身です。1歳上の兄がいて、周りの幼なじみは男の子という中で育ちました。一番年下の女の子なので、みんなにちやほやされるかなと思ったのですが、全然そんなことはなく、幼少期は「お前こんなこともできないのか」などと言われていました。
――厳しい環境ですね。
そんなこともあり、ちょっとお姉さんっていう存在にすごくあこがれていました。お姉ちゃん、お姉ちゃんって言ってくれる子が当時はいなかったので、保育園に入園したときに、あこがれの年下の子がいっぱいできて、お姉ちゃんって慕ってくれるのがすごくうれしく、保育士になりたいと思いました。
――将来はそういうふうに進むぞと、心に決めていたわけですね。
保育の専門学校や、短大に進学したかったのですが、経済的な理由で難しく、高校を卒業した後は、美容関係会社に就職しました。
24歳で保育士に 「保育士の幸せは二の次」の解決を目指し、起業を決意
――保育士さんになりたい思いはついえなかったのですか?
保育の仕事をどうしてもしたくて、認可外の保育施設で働かせていただきました。資格がないので、雑務全般が主な仕事で、将来的に保育士の資格を取って保育の仕事をしたいと思いました。
――資格は取られたのですか?
美容関係会社の仕事と、認可外の保育の仕事でお金を貯めて、22歳で専門学校に入学をして、24歳のときに晴れて資格を取ることができました。
――実際に仕事を始めてみたらどうでした。
やりがいのある仕事だと感じたので、一生の仕事にしたいと思いました。けれど、保育園の保育士の先生方のお子さんが熱を出しても、代わりがいないので、すぐお迎えに行ってあげることができないとか、行事になかなか参加することができないとか、保育現場では個人の幸せがどうしても二の次にしてしまうところがありました。
そういう環境がこの業界全体の問題だと感じ、自分で理想の園を作りたいと、起業を決意しました。
保育士とその家族を大切にしてこそ、園児や保護者を大切にできる
――どんな理想の保育園にしようと思いましたか?
「子どもたちの笑顔のために」を一番大事に思っています。先生方もお子さんが熱を出したときには、すぐお迎えに行くことができ、行事に参加するためのお休みも取れるようにしています。
半休(半日休暇)や時間休を導入し、(職場を)中抜けし、(子どもの授業)参観に参加した後、戻って来たり、お子さんが病気のときには、受診させてから連れて来たり、早く帰ってから受診させたりすることができる環境を作っています。
この環境に賛同して、一緒に働きたいと、うちの園に就職してくれる方が増えました。みなさんがそういう思いで仕事をしているので、お子さんに熱が出たときも、「無理しなくていいよ」って、みんなで支え合って仕事をしている形ですね。
自分自身と、ご家族を大切にできるからこそ、利用者、園児、保護者を大切にできると考え、そこを一番大事にしています。
継続して支援し、成長を見守るため事業を拡大
――今、保育の分野以外にも挑戦されています。どういうきっかけがあったのですか?
最初、立ち上げたのは3歳までの保育園だったので、その後は大きな保育園に転園しなければなりませんでした。
発達がゆっくりのお子さんも少人数でアットホームな園では、少しずつ成長して、笑顔を見ることができました。転園して大きな園に行った後、元気がなく、笑顔もなくなったお子さんに会ったときはショックを受けました。
保育園として、このままお預かりできなくても、その後も継続してお子さんの支援をしょうと、児童デイサービスを立ち上げました。こういう施設があったらいいとか、自社で持っていたら連携できるとか、働くスタッフも働く場所をさらに確保できるとか、保護者支援に継続してつながるとか、そういった思いで事業を増やしてきました。
――今、一番力を入れていることは?
小学校に行ってもお子さんをお預かりしたいので学童保育を開設しました。障害のあるお子さんがその社会に出て暮らす場所も作りたいと考えて、障害者のグループホームをオープンさせました。
一生涯の支援が目標 「熱意と将来性を応援したい」の言葉に奮起
――子どもから社会につながるところまでを一つの流れとして、お世話できる施設をそろえている感じですね
一つの事業では対象年齢になったら終わりになることが多いのですが、悩みがあったときに相談を受け、必要なときに利用できる長い期間、関わることができる施設を作りたいと思っています。
将来的には、生まれてお亡くなりになるまでの一貫した支援ができたらいいなと考えており、今後は障害者の就労支援施設、高齢者の施設も作りたいと考えています
――ボスとしてどういうところを心がけていますか?
私自身は経営者や社長になりたかったわけはありません。自分で理想の園を作りたいと思ったときから、本当にいろんな方々に支えられ、利用者さん、大切なお子さんを預けてくださっている保護者の方、働いてくださるスタッフの方々には本当に感謝をしています。
不動産会社さんなどにもご協力いただいており、すべての方々と、すべての今の環境にすごく感謝をしております。
――まず箱(建物)が必要ですね、そこって大切ですね。
建築する際、いろいろな建築士さんに連絡をしましたが、ほとんどは門前払いでした。(唯一、応じてくれた)建築士さんにどうして私の工事を請け負ってくれたのか、尋ねたことがあります。
最初は小さな工事で、信用もなく、実績もない私なのに、建築士さんが「(あなたの)熱意と将来性を応援したい気持ちがすごくあって、工事を請け負ったんだよ」って言ってくれました。
すごくうれしくて、大きな工事をお願いして恩返しすることが私のできることと考え、この工事会社のため、この建築士さんのためにも事業を増やしたいと思いました。
世代を超えた住民が支え合うまちづくりの構想も
――これから先、どういった未来を描いていますか?
本当に生まれたときから亡くなるまで、一貫した支援をしていきたいと思っています。今後、展開したい障害者支援や高齢者支援を合わせて、今の保育事業と一緒に一つの地域にそういったコミュニティーがあればいいなと思っています。
おじいちゃん、おばあちゃんが小さい子の面倒を見てくれ、赤ちゃんや子どもが大先輩であるおじいちゃん、おばあちゃんから、いろいろなことを教わることができるのではないかと思います。
そんな地域コミュニティー、小さなまちづくりができる場所が作れたらいいなと思っています。
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