戦後のお札で肖像14人登場 「国民各層に広く知られ」?
新紙幣の発行が7月3日(水)に迫った。
新しいお札の肖像に選ばれた渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎のゆかりの地や関係団体では業績をたたえる動きが最高潮になっている。
ただこの期に及んでも、名前は聞いたことはあるが、何をした人なのか正確に語る自信はないという方が少なくないだろう。
お札の肖像になる人物について知識がないと、一般教養や家庭生活の上で“マズイ”のだろうか。
戦後の1946年に発行を開始したお札「A券」以降で肖像で登場したのは、「聖徳太子」(厩戸王)、二宮尊徳、岩倉具視、板垣退助、高橋是清、伊藤博文、福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石、樋口一葉、野口英世の11人。
新紙幣の渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎で計14人になる。
肖像の人選は、関係機関で協議して最終的には財務省が決める。
国立印刷局によれば、偽造防止や肖像彫刻の観点に加えて「肖像の人物が国民各層に広く知られており、その業績が広く認められていること」を基準にして、現在は明治以降の人物から選んでいるとしている。
この「国民各層」「業績が広く」とは何かだ。
山川教科書で肖像14人の重要度…トップは伊藤博文
山川出版社の中学・高校歴史教科書今回、肖像の人物について現時点での教育的見地から重要度の集計を試みた。
用いたのは、都内有名進学校で多く採用され歴史書で知られる山川出版社の教科書の中学生向け『中学歴史-日本と世界』、高校生向けのうち『歴史総合-近代から現代へ』と『詳説日本史』の計3冊。いずれも最新版。特に『詳説』は大学入試で日本史を選択した人は一度は聞いた名前だろう。
人名の登場回数を基本に、本文・特集記載、太字、単独肖像写真といった加点要素を考慮したポイント制とした。その結果…。
肖像の重要度は大きく上位・中位・下位の3グループに分かれた。
トップは元1000円札・伊藤博文(59点)だった。登場回数が計21ページと圧倒的に多い。明治期に4回も総理大臣だったことが大きい。
2位は元500円札・岩倉具視(46点)。明治初めに米欧に派遣された「岩倉使節団」は岩倉、伊藤、津田梅子の3人が肖像入りする“お札の名門”になった。
上位グループはこのほか現1万円札・福沢諭吉(43点)、元100円札・板垣退助(36点)、元50円札・高橋是清(32点)を含めた計5人である。
今回で肖像を引退する福沢諭吉。印刷局は「明治の思想家で慶應義塾大学を設立した」と説明している。
ところが山川教科書に沿うと、「『学問のすゝめ』『文明論之概略』で国民に新思想を紹介し、慶應義塾を創設。「脱亜論」でアジア連帯を否定して清との軍事的対決の気運を高めた」ということになる。印刷局は「脱亜論」に触れていない。「業績」までには含めないということだろう。
いずれにせよ「福沢諭吉」「学問のすゝめ」「慶応義塾」の3点セットは知らないと一般教養としても家庭生活上も“マズイ”レベルだ。
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戦後支えた「聖徳太子」は名実とも復活困難か戦後支えた「聖徳太子」は名実とも復活困難か
中位グループは前1000円札の夏目漱石(26点)、元1万円札等の「聖徳太子」(厩戸王)24点、現5000円札の樋口一葉(22点)、現1000円札の野口英世(18点)の4人だ。
歴史の流れを重視する教科書では、どうしても文芸作品や発見発明は「点」となり、作家・科学者などの紹介は限界がある。
夏目漱石はもちろん、今回引退する樋口一葉は国語にも登場し、野口英世は子どもに強烈な偉人伝があるため、歴史以外の加点可能性が高く、知名度では上位グループ並みだろう。
問題は「聖徳太子」だ。
戦後だけでも1946年から元100円札〜1万円札と計4種類でフル活躍、日本の復興と成長を支えて、一時はお札の代名詞だった。教科書でも前の方の記述で授業で飛ばされることはない。
ただ研究成果から教科書での扱いが変わったことは有名だ。『詳説』では1980年代「聖徳太子(厩戸皇子)」の記述が今は「厩戸王(聖徳太子)」だ。
あの板を持つ肖像も強烈な印象だが、この画像と「聖徳太子」を結びつける史料がなく、平たく言えば“後に描かれたイメージの可能性があるもの”と分かり、山川教科書には一切登場しない。
現在のお札の肖像が明治以降で選ばれるのは、こういう史料の“揺れ”を避けられる側面もある。「聖徳太子」の肖像復活は、劇的な新史料が発掘されないかぎり難しそうだ。
渋沢・津田・北里は低めスタート
新しいお札の肖像3人 低めスタート残る下位グループは、渋沢栄一(17点)、津田梅子(14点)、北里柴三郎(14点)、新渡戸稲造(12点)。最下位は二宮尊徳(0点)となっている。
教科書の人名は無数の中から選ばれている以上いずれも大切だが、これらの人物について知識があまりなくても、教育上それほど“マズイ”とまでは言えないのかもしれない。
新しいお札で登場する3人がいずれも点数が低めなのは気がかりだ。津田梅子は『中学歴史』に特集があるものの、本文太字扱いは渋沢栄一の『詳説』だけだ。
ただ点数の結果は、何となくではあるが、世間の相場観と一致している感じがする。大人の社会で「伊藤博文・福沢諭吉は名前しか知りません」と言うのは勇気がいるが、「渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎は名前しか知りません」は結構言えたりする。
もっとも津田梅子は津田塾大学、北里柴三郎は北里大学…名字を冠した大学という知名度の高い存在がある。その大学の創立に関係する人物だろうと推測できる。
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多才で「一言で言えない」 渋沢栄一の弱点多才で「一言で言えない」 渋沢栄一の弱点
実は知名度が最も厳しいのは、津田や北里より点数が上でも、渋沢栄一ではないか。
印刷局は渋沢を「生涯に約500もの企業設立などに関わったといわれ、実業界で活躍した」と紹介している。
しかし“経済”という広い分野で多くの事業に関わったことで逆に印象が弱い。要するに才能・業績がマルチすぎて「〇〇の人」と「一言で言えない」人物なのである。
『中学歴史』でも「大蔵省に勤務し、新貨条例・国立銀行条例などの諸制度の改革を実施した。のち、第一国立銀行や大阪紡績会社など、多くの会社設立に関わった」と並列させている。
渋沢が初代会頭を務めた東京商工会議所が、強く“渋沢推し”をしてきたが、名字を冠した大学の存在と比べると商工会議所は知名度・親近感が低いのはつらいところだ。
“過去の人”新渡戸稲造 地味ながら最近も健闘
この渋沢に似た立ち位置にあったのが12点の前5000円札・新渡戸稲造だ。新渡戸は教育者で国際人だが、「一言で言えない」多面的な活躍をした。
事実上のお札引退から20年が経過し、特に若い世代では「新渡戸って聞いたことがあるような…」くらいの人も多くなっている。読みの「にとべ」もきつくなってきて、“過去の人”化しかけている。
しかしそんな新渡戸の功績をたたえる思いは脈々と続き、最近も動きがある。
青森県十和田市「旧市立新渡戸記念館」は一時廃止の危機にあったが、調停が成立し、ことし3月に新渡戸家に建物を無償譲与することで継続することになった。夜間中学の姿を追ったドキュメンタリー映画「新渡戸の夢」もクラウドファンディングで資金を集めてことし春に完成し、各地で巡回上映中だ。
都内でも少しさかのぼるが、東京女子大学に2009年春に新渡戸記念室が開設され、中野区では2010年に私立で同系列の新渡戸文化幼稚園から新渡戸文化短大までが、また2015年に新渡戸記念中野総合病院が、それぞれ新たに新渡戸の名字を冠した。
5000円札という地味な役割をこなした新渡戸が引退後も健闘している状況。知名度の将来不安のある渋沢にとっても心強い。
古くは銀行振り込み、最近はカードやスマホ決済、電子マネーによって紙幣・貨幣を手にする機会は確実に減ってきている。
こうした中で登場する新札が日本経済の本格復活のターニングポイントと振り返られ、“重要度”が低いとした肖像の3人が輝く時代になってもらいたいものだ。
(テレビ朝日デジタル解説委員 北本則雄)
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