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 深夜の居酒屋“三次会” パインサワーを片手に熱弁

 時計の針はもう夜11時を回っていた。去年7月8日、東京・神保町の大衆居酒屋チェーン店。
 パインサワー(462円)のジョッキを飲み干し、お代わりを注文する財務官・神田真人の姿があった。灘高校同窓会(1983年卒業)の“三次会”が開かれていた。

 仲間は多士済々だが、知名度は神田がダントツだ。還暦前とはいえ、気の許せるかつてのクラスメートとの話は楽しいものだっただろう。
 居合わせた関係者によると、神田は世界の紛争や平和、日本の将来への懸念を熱く語っていたという。その姿に“あいつは昔から全く変わってないなあ”と感じたという。

 財務省で国際関係担当トップである財務官の神田。
 “異能の官僚”として霞が関では知られていたが、2022年9月の円安局面での為替介入をめぐる報道を通じて知名度が一気に上がった。
 “宇宙人”“令和のミスター円”とも呼ばれる。

40年前の舛添ゼミ写真 将来の“変身”の予兆が…

 神田は入学した東京大学で、当時・助教授だった元都知事・舛添要一のゼミに所属した。
 画像中央の写真は40年前、1984年にオリエント・リース(現・オリックス)の雑誌広告で紹介された「ゼミナール訪問」。なかなか先見性のある広告だ。
 舛添と神田の並んだ2人には何か将来の大物“変身”の予兆のようなものも見て取れる。

 教養学部(駒場)の舛添ゼミは比較政治学がテーマで、紹介文では「人気ゼミの一つ。毎年定員25人のところ100人ぐらいが押しかける。初めはクジ引きで決めていたが、特に向上心の強い学生に絞ろうと、最近はまず5000字程度の論文を書かせて選考することにしている。厳しい指導にかけては東大でも指折り」。

“変身”の予兆が…19歳の財務官・神田真人と当時東大助教授の舛添要一=オリエント・リース(現・オリックス)広告から※一部加工

 舛添は5月12日、解説役を務めるネット番組『ABEMA的ニュースショー』で神田について「非常に優秀。毎週英語の本1冊、日本語の本5、6冊読ませたんで、だいたい脱落するやつがほとんど。それについてきた。ゼミの同窓会でも、みんなと分け隔てなく冗談を言う感じで。昔からちょっとひょうきんなところがあって、一緒にいると明るく楽しくなる感じ」と評した。
 ほかにも神田の学業優秀を物語るエピソードはたくさんある。

 そんな神田の意外な場所での意外な行動を目にして驚いたことがある。

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他省庁に“飛び込み営業” 縦割りを超えて相手の懐に  

他省庁に“飛び込み営業” 縦割りを超えて相手の懐に  

“飛び込み営業”までした文部科学省(東京・霞が関)

 2015年、筆者が社会部文部科学省担当の時のことだ。文科省の幹部室が並ぶフロアで頭を下げている神田の姿を見つけた。当時、金融庁参事官(国際担当)だった。
 民間の“飛び込み営業”のように、各幹部の部屋にアポなし単独であいさつ回りをしていた。文科省と金融庁は合同庁舎7号館の東館・西館のお隣同士だが、業務的に緊密な関係があるとは言えない。
 その3年前までの主計官(文部科学担当)時代、予算編成で文科省と正面で向き合っていた神田。一方で対外的に大学や研究開発のあり方や改革をめぐって鋭い問題提起をしており、文科省との関係は“ビミョー”な側面もあった。そこにあいさつを忘れない。
 霞が関の“縦割り”を身一つで超え、相手の懐に入る。行動力に驚いた。

“マサトの部屋”で対談 「人類が滅びてしまう」

まさに“マサトの部屋”…『ファイナンス』(財務省広報誌)の異色連載

 神田が財務省広報誌『ファイナンス』で2011年から始めた「超有識者場外ヒアリングシリーズ」は異色の連載だった(2017年8月で休載中)。
 最初は堅い顔ぶれだったが、しだいに中村紘子、秋元康、谷村新司と多彩になっていった。こうなると『徹子の部屋』ならぬ“マサトの部屋”だ。人脈を広げる狙いもあったと思うが、予算編成への視点という横ぐしは通っていた。

 “超有識者”を相手に「大宇宙において人間が理解していることは微々たるものにすぎず、もしそういうものがないと人類が思うようになったら、その傲慢さゆえに滅びてしまうでしょう」(松本幸四郎との対談)。「このままでは、国債を子どもたちに押し付けて社会保障で食べ尽くし、いずれ破綻するだけの民族になってしまいます」(三遊亭円楽(6代目)との対談)。
 人類や民族を心配するスケール感。かつての官僚には数多くいたが、最近は少なくなった。
 そんな神田の原点が高校時代にあったことはあまり知られていない。

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灘高時代に原爆被害のパネル展を企画・実現

灘高時代に原爆被害のパネル展を企画・実現

財務官・神田が企画・実現した灘高校文化祭での原爆被害パネル展(1982年5月)

 教室に並べられた写真・図版には焼け野原と残がい、そこに遺体、呆然とした負傷者…。生徒の家族や知り合いが見入っている。
 1982年5月、灘高校の春の恒例、文化祭の一角で原爆被害・被爆者のパネル展示が開かれた。
 これを企画したのが高校3年生だった神田だ。

 当時を知る関係者によると、組織的なバックアップも人手も少なく一時は難しいとみられていたという。それが神田の強い熱意に協力が集まった。展示するパネルや機材も入手し搬入できることになり、ついに実現したという。
 「神田は世界平和のために『核兵器についていろいろな考え方はできると思うが、とにかく実際に起きたことを見て知ることが大事だ』と訴えていた」。関係者は語る。
 とかく偏差値がステレオタイプに強調される進学校で見せた別の一面だった。

ウクライナを異例訪問 手を合わせた神田

慰霊碑で手を合わせる神田財務官(ウクライナ・ブチャ、2023年8月2日)=在ウクライナ日本大使館X(旧ツィッター)から

 神田は去年8月2日、ウクライナを訪問した。冒頭の高校同窓会のパインサワーの夜から1か月後だ。
 幹部とはいえ日本から事務方だけで訪れるのはまだ極めて異例だった。総理大臣などの場合のような手厚い支えはなく、厳しい移動スケジュールで、警備も自分たちで手配しないといけない。
 それでも現地に行ったのは、何よりも本人の強い意思が強かったものとみられている。

 キーウでウクライナ財務大臣と会談した。ロシアによる侵攻後、閣僚クラスの2国間協議は世界で初めてと報道された。日本は経済的な支援継続を確認することを表明した。
 神田はその足で民間人が虐殺されたキーウ郊外のブチャを訪れた、多くの犠牲者の氏名が書かれた慰霊碑でひざまずき、手を合わせて黙とうした。
 心によぎったものは何だったのか。

 為替問題をめぐり財務省廊下で日々取材を受ける立場を誠実にこなしている。
 ただ、もし別の人が財務官を務めていたとしても、最近の急激な円安局面では為替介入や口先介入といったアクションにそれほどまでの大きな違いはなかったかもしれない。

 しかし財務官として戦時下のウクライナを直接訪れたのは神田だったからこそだ。
 「キーウだからこそ得られる貴重な情報をいただいた」。
 現地での発言に、国際平和を志してきた神田の真骨頂を見た気がする。(文中敬称略)
(テレビ朝日デジタル解説委員 北本則雄)

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