なぜ今、ブランディングデザインが必要なのか
私が広告会社の電通に入社したのは2009年のことです。フェイスブックやツイッター(現・X)などのソーシャルメディア(SNS)が普及し始めていたものの、まだまだ一般的ではない時代で、当時はテレビ・ラジオ・新聞・雑誌などのマスメディアが情報の中心でした。
当時と比べると、広告業界を取り巻く環境も大きく変化しました。
私が特に影響を感じている、大きな変化は次の4点です。
➀伝える手段の多様化大きな変化の1つ目として、伝える手段の多様化があります。
2009年頃は、4マス(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌)と呼ばれる、マスメディアが情報の中心でした。これらは広告費が高額なので、マス広告を発信できるのは一部の大企業に限られていました。
しかし現在は、SNSなどの普及によって情報発信が手軽になり、小さいブランドや個人のお店も情報を発信することが可能になりました。また、お客様自身が情報を発信することができるようになり、クチコミの力も以前と比べて大きくなりました。
ブランドの情報をお客様に伝えるための手段が、当時と比べて多様化し、選択肢が豊富になったのです。
➁商品・サービスの増加当時は、マスメディアが主な情報源だったため、多くの人がその時々のトレンドを追いかけていました。しかし、現在は全国規模のブームというものは少なく、1人ひとりが自分の好きなものを楽しむ時代に変わりました。その結果、多様化するニーズに合わせて、様々な商品・サービスが生まれるようになりました。
また、商品・サービスが増加している背景には、テクノロジーの進化により起業のハードルが低くなったことも考えられます。
お店を持たずにECサイトで商品を販売したり、SNSで広告を配信したりするなど、少ない予算でも新しいブランドを始められるようになりました。
日本でも、若手起業家が増えつつあり、新しい感性を感じる商品・サービスが増えてきています。
ニーズが多様化したことと、テクノロジーの進化によって起業のハードルが低くなったことにより、商品・サービスの数が圧倒的に多くなりました。
➂クリエイティブ制作の民主化テクノロジーの進化は、クリエイティブ制作の民主化をもたらしました。具体的には、映像制作、画像の加工、音楽制作など、当時は各分野の専門家にしかできなかったことが、誰でも、簡単に編集し、世界に発信できるようになりました。
それを実現したのは、クリエイティブを共有できるSNSや、クリエイティブ制作を気軽に楽しめるソフトウェア、高性能のハードウェアの存在です。
1日の間に目にする映像や写真、音楽などのコンテンツ量が圧倒的に増えたことで、企業が発信したいことをお客様に届けることは、非常に難しくなりました。自分の判断で自由に使うことのできる時間には限りがあるため、この限られた時間を、様々なコンテンツが奪い合う時代が始まったのです。
コンテンツが溢れている状況において、広告は存在感を示すことが難しくなっています。
所有ではなく意味を重視する新しい価値観
➃価値観の変化新しい世代の価値観も、目立ち始めています。ミレニアル世代やZ世代が、20、30代になり、少しずつ価値観がアップデートされていくのを感じるようになりました。
この世代は、生まれた時から、モノが豊富にある環境で育っているので、所有することにこだわりが少なく、所有よりも意味を重視すると言われています。また、膨大な情報やコミュニティを選ぶことができるようになったため、多様性を重視し、ジェンダーや社会問題に対しての興味・関心が高いとも言われています。
私自身もミレニアル世代に含まれますが、ここ数年で、値段が安くて便利なものではなく「トップにビジョンがある」「サステナビリティに配慮している」あるいは「造形として美しい」など、本当に意味があると思えるものを、できるだけ長く使いたいという発想に変わってきました。特に、少し奮発した買い物をする際は、「これでいい」と妥協せず、一生付き合えるかをよく考え、調べて買うようになりました。
これからの商品やサービスは、便利さや値段を追求するだけではなく、意味が求められているのです。
このように、私が広告会社に入社した2009年から2023年までのわずか15年ほどの間に、これまでの常識が覆されるような変化が次々と起こっています。
これからのブランドに必要なこと
広告業界を取り巻く環境が変化したことに伴い、アートディレクターとして、企業から求められることも変化しています。
私自身のキャリアに伴う変化もあるので、業界全体の傾向として一概には語れないものの、世の中の潮流は明らかに次に記す方向へ向かっていると感じています。
過去と現在を比較し、これからのブランドに必要なことを整理してみると、以下の4点にまとめることができます。
➀インパクトからストーリーへ2009年時点での、広告会社の仕事では、短期的なインパクトを求められることが主流でした。当時の広告の仕事は、クライアントのオリエンから始まることが多く、オリエン資料の中で「広告キャンペーンを実施し、来年の売上を何%上げたい」というように、いつまでに何を達成したいのかが、明確に提示されていました。
しかし、現在はこのように短期的な目標を提示するのではなく、長期的な目線でブランド価値をどう高めていくべきかという相談が増えています。
背景には3つ、理由があると捉えています。
その理由の1つは、ブランドとして一貫性の管理が必要になってきたことにあります。企業から発信するコンテンツの量が増えたため、一貫性を管理することが以前よりも難しくなりました。一時的なインパクトだけを求めると、長期的な目線で見た時にブランドイメージが崩れてしまう懸念があります。
2つ目は、ブランドの情報発信が、途切れることなく続く、長期的な活動に変わったことが要因として挙げられます。これまでは広告キャンペーンの時期を半年に1度、四半期ごとに1度、などに設定し、時期を区切って情報発信を行っていました。しかし、伝える手段が多様化したため、情報発信は一時期に限られた活動ではなく、毎日取り組むものに変わったのです。
3つ目には、お客様自身が情報を発信できるようになったため、クチコミの重要度が上がったことが挙げられます。共感してもらい、ブランドのファンになってもらうことができれば、クチコミによって大きな広がりが期待できるようになりました。ブランドのファンになってもらうためには、一時的なインパクトではなく、ブランドのストーリー(=思想)を愛してもらう必要があります。共感を得られるかどうかが、ブランドとして大切な要素になりました。
これらの変化を受けて、短期的なインパクトから、ブランドとしてのストーリーが求められるようになってきているのです。
「これがいい」と思ってもらえるか
➁独自性の可視化1人ひとりの好みに合わせた多様な商品・サービスが生まれているため、無数のブランドの中で、埋もれないことが重要になりました。
かつては、そもそもの選択肢が少なかったため、お店に並べてもらうことができれば、ある程度の売上を見込むことができました。
ですが、今は、ウェブサイトなどで、自分の好きな商品・サービスを、どこでも、いつでも買うことができるようになったため、代替可能な商品・サービスは、生き残ることが難しくなりつつあります。
「これでいい」ではなく「これがいい」と思ってもらうことが、これからのブランドに必要なことです。そのためには、自社ブランドの強みや魅力を発見し、デザインや言葉で目に見えるようにすることが必要です。他のブランドにはない、ブランドの独自性を可視化することが求められています。
➂専門型から共創型へクリエイティブ制作の民主化により、あらゆる人が画像や映像などの制作ができるようになったため、自社内で他の業務の合間にクリエイティブ制作を担うケースなども増えてきています。その結果、デザイナーという職種の技術力や専門性の差が広がっています。
ブランドから発信するコンテンツの量も増え、大きなブランドになると、何十人もデザイナーがいるケースもあります。このような状況においては、1人ひとりのデザイナーが個別に作家性を発揮し始めると、ブランド全体として見た時にブランドがバラバラになってしまいます。
ブランドの思想と世界観に一貫性をつくるためには、1つひとつの制作物の品質を高めるだけではなく、ブランド全体を管理するシステムを構築し、関わるデザイナーが全員でブランドを共創できる状態をつくることが必要です。
ブランドに関わるすべてのデザイナーが連携し、ブランドを共創する時代になってきているのです。
贅沢を意味しなくなった「ブランド」
➃表層から根幹へ「所有より意味を求める」という価値観の変化に伴い、ブランドも「誰が、どのような思想で、何のためにつくったブランドなのか」が問われるようになりました。
消費の傾向が、所有から意味に変化した背景には、消費の成熟化があると言われています。
かつては日本もモノが足りない時代があり、商品やサービスの機能的な価値で、生活が豊かに変わっていきました。しかし、現在は、生活に必要なモノはほぼ行き渡り、これ以上の利便性を追求することが難しくなっています。
そのため、機能性だけでは得ることができない、体験や経験、そしてブランドの持つ意味が問われるようになったのです。機能的な価値だけではない、情緒的な価値が求められるようになりました。
『デザインを、経営のそばに。』(かんき出版)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプしますブランドの根幹にある思想は短期間でつくることはできませんし、上辺だけを取り繕ってもすぐに見破られてしまいます。「サステナビリティへの向き合い方」「地域貢献」「ダイバーシティ」「歴史・文化伝承」など、ブランドとしての社会貢献的側面を明確にし、存在意義を持って運営していくことが求められているのです。
かつてはブランドと言うと、贅沢品だと捉えられている時代もありましたが、今の「ブランド」とは必ずしも贅沢を意味しません。
見た目が豪華で美しいことよりも、ブランドの根幹にある思想に価値が見出される時代に変わったのです。
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