日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士。

使われなくなった自宅を建築家・安藤忠雄さんが設計し、京都大学の新しい迎賓施設として生まれ変わりました。


京都の伝統家屋の中に、新しく木を組み合わせて作られたモダンな空間。一方で、建物の多くの部分には、住んでいた当時と変わらぬたたずまいが、残されています。

【建築家 安藤忠雄さん】「(湯川博士の)住宅を再利用しながら記念館になるというので、私もぜひやってみたいと」

【長谷工コーポレーション 辻範明取締役会長】「湯川先生がノーベル賞をもらわれたというのは、小学生のときから頭にこびりついているんですね。やるしかないんです」

安藤忠雄さんと長谷工コーポレーションの寄付で実現したのは、湯川秀樹が晩年を過ごした家の改築工事です。


物理学者の湯川秀樹は戦後まもない1949年、日本に初めてのノーベル賞をもたらしました。まだ42歳の若さでした。

【京都大学 佐藤文隆名誉教授(86)】 「世界的なことが、日本人にもできるんだって、みんな(敗戦で)へこんでたわけだから。何とばかなことをしたんだろうと思っているところに、これからでも世界的なことができるんだという」


湯川をよく知る京都大学の佐藤文隆名誉教授(86)。

湯川がノーベル賞を受賞したときはまだ小学生でしたが、その衝撃が忘れられず、湯川を追って京大に進学。38歳のときには初めて自宅を訪ねました。

【京都大学 佐藤文隆名誉教授(86)】「私にとっては、こんな人のおうちに入っていくんですから、非常に緊張して入っていきました。家では奥さんが取り仕切ってる感じで、『あっち行って、こっち行って』と言われてました」


湯川が特に気に入っていたというのが、この「庭」です。

【京都大学 佐藤文隆名誉教授(86)】「お庭は自分であれこれいじったり、指示したりしてたんじゃないかな。お庭も含めて、心休める場所だったんだと思う」


この家に住んでいた親族も高齢となり、維持・管理が難しくなった頃、「功績を後世に伝えたい」という京都大学の意向に賛同した、長谷工コーポレーションが購入して京都大学に寄付。

建築家の安藤忠雄さんが設計を担当し、ことし3月、迎賓施設「下鴨休影荘」として生まれ変わりました。

【建築家 安藤忠雄さん】「できるだけ通風のいい、採光のいい、そして奥まで光が入るような、日本の国の木造の原点は、しっかりとカタチにしたいと思っていました」


【京都大学 佐藤文隆名誉教授(86)】「庭に面した1、2階の部屋の雰囲気は非常にいい。湯川秀樹の世界的な業績と、そういうことを日本人でもできるんだということを、あそこに行くことで思いをはせる場所に、なっていったらいいと思います」

京都大学は今後、研究者どうしの交流の場などとして活用し、年に1~2度は一般に公開したいということです。

(関西テレビ「newsランナー」)2024年5月17日放送)

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